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JOGA
JOGA19
(2015)

東アジア・オーストラリア地域渡り性水鳥重要生息地ネットワーク(ガンカモ類)支援・鳥類学研究者グループ:JOGA
第19回集会「ガンカモ類研究者連携の意義と課題:JOGAの課題再整理」

話題提供3

ついに1000羽を越えたシジュウカラガン越冬個体数

呉地 正行(日本雁を保護する会)


[JOGA19]

話題提供1
「JOGAをはじめた理由とその後の展開」呉地 正行(日本雁を保護する会).
話題提供2
「1%基準値を巡るさまざまな課題」牛山 克己(宮島沼水鳥・湿地センター).
話題提供3
「ついに1000羽を越えたシジュウカラガン越冬個体数」呉地 正行(日本雁を保護する会)
話題提供4
JOGAの鳥学上の課題(2000年)の改訂に向けて」須川 恒(龍谷大学深草学舎)

 赤毛のアンの舞台となったカナダのプリンスエドワード島で、1887年に3人の猟師が高価な銀狐の養殖に成功し、巨額の富を得たことが引き金となり、世界的に狐の毛皮バブルが起きた。
樺太日日新聞 1916.4.19(大正5) (データ作成:2010.3 神戸大学附属図書館)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10076680&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 
 当時千島列島を領有していた日本政府(農林省)も、1916年に独占管理していた中部千島の少なくとも8つの島で養狐事業を開始した。その多くは檻で飼育するのではなく島に放獣し、毛皮の質が良くなる冬に再び捕獲して毛皮にするという方法がとられた。少なくとも1939年までは中部千島全体で4-5000頭のキツネが飼育され、そのうち約1000頭が、毎年毛皮になっていた。当時千島列島で多数繁殖していたと思われるシジュウカラガンは、壊滅的なダメージを受けた。そのために、江戸時代には「仙台周辺で雁を獲ると、十羽のうち、七、八羽がシジュウカラガンだった」(観文禽譜,1831)ほど多かったシジュウカラガンの群れはやがて姿を消し、絶滅の淵に追いやられてしまった。今回はこれまでベールに包まれていた千島での養狐事業を紹介し、その後の回復へ向けた歩みのうち、特に成果が表れ始め、その数が1,000羽を超えるようになり、絶滅の危機から一歩遠ざかったが、これらかの方針や今後に向けての課題整理も行う。

図1 図3

図2 図4

[JOGA第19回集会「ガンカモ類研究者連携の意義と課題:JOGAの課題再整理」2015年9月19日]

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URL: http://www.jawgp.org/anet/jg021d.htm
2015年9月15日掲載,JOGA